昭和49年06月23日 特別奉修委員
御祈念に掛からせてもらう前に、今日御理解の中にも聞いて頂きました、阿部先生のお詠を、どげんしても読み下しが出来んから、秋山さんに読んで貰ったんです。秋山さんも解らんと言うて。所が秋山さんが見えてから考えよったら、それはこう言う事じゃなかろうかと言うて、成程言われて見たらその通りだったんですけれども、『親神の 厚き恵みに つかされて』という風に、つかされてじゃなんてん意味が解らんですもんね。所がどげん考えたっちゃ「つ」の字にしか見えん訳ですよ。
それで私も解らないから、どげな事じゃろかと思ったら、「あぁこれはつという字に読むから解らんのであってね、これはいという字だ。すると生かされてじゃったら解る。じゃないでしょうかね。」と言うて、秋山さんが言われた。「あぁほんにこれは生かされてばい。」『親神の 厚き恵みに生かされて 光輝く 合楽の里』これで読みができた。という訳なんですけどね。
ところが是はどげん考えたっちゃ「つ」にしか見えない。私達が、例えばその「つ」で読もうとするから、後が下らんのです。だからちょっと思いを変えてね、それをするとすうっと自分の心に詰まっとった問題でもさらぁっとなるしね。今日はあのうさっき壱岐の末永先生が、今度むつやのかよ子さんが、もう出産間際になっとりますから、今度壱岐の方でお産をすると言う事になってたんです。
それで宅祭りに先生が見えて、そして連れて帰ってくれれば安心だからと言う事になってたんです。所がさっきも話しました様に、信司郎さんがここ三、四日具合が悪くて休んでいる訳なんです。それで主人が休んどるとをほったらかしては行けない気もする。けれどもこの時期を失したら今度は送って貰う者がいない。それならご神意を頂いてと言う事になって、ご神意を頂かれて前からお許しを頂いておる事だから。
帰られたらよかろう。後は、神様にお願いしておけばよい。と言う事なんですね。またそれでいいど思うんです。これはもう私の想像ですよ。例えばなら弟嫁もおりゃ、妹もおりますから、だから「姉さんよかが、兄さんのことは私達がしとくけんで、行っといで。」と一言言ったらね、もうとげん気分よう行けるか解らない。「こげな病人ばほったらかして、姉さんは。」と、
こういう考え方をしたら、そこから問題が問題になって来るとですよ。「こげな病人ばほったらかしてから」と言うならね。だから本当に思いをちょっと変えると、するうっと下がる所がね。問題じゃないもん。おかげがおかげを呼んで行く様なおかげになって行くのにね。反対にそこに引っ掛りここに引っ掛りで、読みの下りが出けんと言った様な事がね、私達の生活の中にも色々ありませんでしょうか。
もうどうも胸がすっきりせん。という時には読み方思い、その見方を変えて、自分がこれがほんなこつと。もう「つ」の字に読もうとしよるから読み下りが出来んとですよ。ですからそう言う様な事が、信心されて頂くものは、もうそれこそさらさらとね、もう自分の心が有難い方へ転がって行く様な生き方。今私が申しましたのは、むつやの妹達がどうこう言いよる。そういう意味じゃないですよ。
私の想像なんです。だから二人なら弟嫁と妹がおるから、例えば妹さん達もこげん言うて頂くからと言うのですなかったからね。「姉がせっかく行くごとしとっとだから、兄さんが見えとるのがよい幸いやけん、兄さんの事は私達が責任を持った。姉さん行って下さい。」と、こう例えば言ったらね、あとの読み下りがどんなに素晴らしいか解らんと私が言うのです。その様な事がお互いの生活の中にある。信心にならなければ出来ない。
どうぞ。